フォロワーを増やすには

自分のツイッターがどういうコンセプトで情報を発信しているかを理解することまたは徹底することが大事です。

その上で似たようなツイッターしていてフォロワーさんが多い人を探してみよう

そしてそこのフォロワーさんの中から好きだからフォローしてそうな人を10人フォローしてみましょう

そして一日後に何人フォローされたのかを確認します。

フォローされていればフォローしてくれなかった人を外してまた10人をフォローしてみましょう

一日たってもフォローされてなかった場合はコンセプトが間違っているのかもしれません、もう一度自分のツイッターのコンセプトを考えてちがう優良ツイッターさんを探して10人フォローしてみましょう

こんなかんじで試行錯誤しながらフォロワーさんを増やしていきましょう

一度にフォローしすぎると凍結されますので、10人ぐらいが目安だと思います
確実に増えていくのであればあなたは才能があるということです。

ハインリッヒ・シュリーマン 日本に関するまとめ

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325)) [文庫]
ハインリッヒ・シュリーマン (著), 石井 和子 (翻訳)


慶応元年(1865)に世界周遊の旅の途中に来日した、トロイの遺跡発見で知られるシュリーマンは「この国は平和で、総じて満足しており、豊かさに溢れ、極めて堅固な社会秩序があり、世界のいかなる国々よりも進んだ文明国である」と、江戸の社会を高く評価している。



http://blog.goo.ne.jp/new-beatle1978/e/f39ce12a257968865d7105efff805a64

いま時間があるので、最近けっこう読書をします。
その中で、かなり興味深く面白かったのがこの一冊、『シュリーマン旅行記 清国・日本』

19世紀半ば、ドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンが、有名なギリシャのトロイ遺跡を発掘する前に、世界各地を旅する途中、当時清朝だった中国と、幕末の日本を訪れた。

その時の中国・日本の様子を、詳細にレポートしている。

その詳細さは、この本を読めば、その当時の情景がすぐに思い浮かぶぐらいだ。大きなものから小さなものまで具体的な数字を挙げて大きさを表現し、物の価格まで事細かにしっかり記されている。

特徴的なのは、中国についてはかなり毒舌に評価している一方で、日本についてはかなり絶賛している。外国に住んで、日本ってやっぱり良い国だなと思うことは多々あったけど、この本の、なんの偏見もない客観的なヨーロッパ人の日本に対する評価には、日本という国は素晴らしい国なんだと、改めて思わせてくれる。

当時、中国は欧米列強の侵略を受け、清朝政府は腐敗し、国民はアヘンに犯され堕落していた。一方日本は、明治維新の3年前という幕末の混乱期ではあったけど、260年続いた江戸時代の秩序の中にいた。
シュリーマンによる旅行記では、こうも違うかというぐらい、中国・日本とを好対照に記している。


読んでいて興味深かった部分を抜粋します。(※原文の「シナ」とは中国のこと)

まずは当時の街並みについて。
シュリーマンは中国北京の万里の長城を見に、上海から天津へ船で移動した。その時天津の街に降り立った時の印象をこう記している。
『私はこれまで世界のあちこちで不潔な街をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の街は汚れている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。街並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている。』
また、北京の街を歩いている時の様子。
『ほとんどどの通りにも、半ばあるいは完全に崩れた家が見られる。ごみ屑、残滓、なんでもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷ができている。』
→う〜ん、今の中国の街でもそう思うことがよくあるなぁ。ほんとぞっとするぐらい汚いところを上海でも目にする。地方の町へ行けばさらにだ。中国人は場所関係無しにポイポイごみを捨てるし、汚水を道の溝へ流してしまうし、ゴミ捨て場は目を覆いたくなる状況だ。今でも変わらないなあ。

一方で、江戸、横浜の町を見物したシュリーマンはこう書いている。
『日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地が無い。』
『日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。』
『この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもまして耕された土地が見られる。』

シュリーマンはお寺を見るのが好きなようで、中国・日本どちらでもお寺を訪れている。
北京で歴史あるお寺を訪れた時の印象。
『…寺を訪れた。シナの寺院建築はヨーロッパ最高の建築家も一目置くほどである。だがいまは、無秩序と頽廃、汚れしかない。…途方もない費用をかけて建設したこの壮大な建築物を、いまや頽廃し堕落した民族が崩壊するにまかせているのを目の当たりにするのは、じつに悲しく、心痛むことだ。』

一方日本のお寺を訪れた時の印象。
『高名な豊顕寺で休憩した。境内に足を踏み入れるや、私はそこにみなぎるこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、ひなびたといっていいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。』
『僧侶たちといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。』

中国と日本の当時の女性についても興味深い記述をしている。
『シナでは、女性の美しさは足の小ささだけで計られる。九センチあまりの小さな足の持ち主ならば、歯が欠けていようが、禿頭だろうが、十二センチの足の女性よりも百倍美しいとされる。例え後者がヨーロッパ風の基準に従えば目映いばかりの美しさをそなえていようとも、である。』(←当時の纏足<てんそく>の風習)
『日本政府は売春を是認し奨励する…貧しい親が年端も行かぬ娘を何年か売春宿に売り渡すことは、法律で認められている。この売買契約にあたって、親たちは、ちょうどわれわれヨーロッパ人が娘を何年か良家に行儀見習いに出す時に感じる程度の痛みしか感じない。なぜなら売春婦は、他の職業と比べて何ら見劣りすることのない、まっとうな生活手段とみなされているからである。…娼家に売られた女の児たちは、結婚適齢期までこの国の伝統に従って最善の教育を受ける。…有名な寺の本堂に「おいらん」の肖像画が飾られ、…日本人は、「おいらん」を尊い職業と考え、他国では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。その有様を目にして、長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ。』

シュリーマンは、子供の頃からの夢だった万里の長城を見に行った。その時のことをこう表現している。
『私は(世界の)素晴らしい眺望をたくさん見てきた。しかしいま、眼前に展開された光景の壮麗さに匹敵するものは何もなかった。私は呆然自失し、言葉もなくただ感嘆と熱狂に身をゆだねた。』

しかし、長城を見に行く際に訪れた村で、シュリーマンは中国人の気質について理解する。
『(村人に)旅行の目的は何かと聞かれて、…長城を見ることだと答えてしまった。彼らはみんな大口を開けて笑い出した。石を見るためだけに長く辛い旅をするなんて何と馬鹿な男だろうというわけだ。どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質である。』
→たしかにこれは今でもそうだ。中国人と一緒に仕事をしていてこれを感じない人はいないのではいか(笑)。

日本で、江戸の街を眺めていて、シュリーマンは日本人の入浴・混浴文化を知った。
『どんなに貧しい人でも、少なくとも日には一度は、街のいたるところにある公衆浴場に通っている。…(男女混浴を見て)禁断の林檎をかじる前の我々の先祖と同じ姿になった老若男女が、一緒に湯をつかっている。…日本人は礼儀に関してヨーロッパ的観念をもっていないが、…人間というものは、自国の習慣に従って生きている限り、間違った行為をしているとは感じないものだからだ。そこでは淫らな意識が生まれようがない。すべてのものが男女混浴を容認しており、…男女混浴が恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べてうんぬんすることはきわめて難しい。』
→日本人の入浴好きは世界でも珍しいものだという。たしかに当たり前だが一日一回はお風呂入らないと気がすまない人がほとんど思う。それに今でももちろん水着など着ない混浴の温泉があって、それは世界的にはかなり珍しい。この価値観の違いは面白い。

中国人・日本人の金銭感覚についてもシュリーマンは述べている。
『シナ人は偏執的なまでに賭け事が好きであり、貧しい労働者でも、ただ同然で食事にありつけるかもしれないというはかない望みに賭けて、自分の食いぶちの二倍ないし四倍の金をすってしまう危険をものともしない。』
→中国人はほんとギャンブル好き。暇さえあればマージャンだのトランプだのやってお金を賭ける。この熱狂ぶりはほんとすごい。
『(横浜港に着いた際、税関の官吏は)中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところが何と彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら、「サイナラ」(さようなら)と言った。…彼ら(役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金で贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである。』
→当時の日本の役人の清廉さにはとても清清しい気持ちになるが、方や今の役人・政治家たちの状況を見ると悲しくなってくる。。かつての清廉な「日本男児」はどこに行ってしまったのだろう。。

シュリーマンは中国の劇場で見た演劇(京劇?)を見に行った。
『劇場で演劇を見た。…次は歌と音楽の入った劇だった。太鼓や鐘、それに奇妙なヴァイオリン(胡弓?)からなるオーケストラは、文字通り、猫の騒ぎのような音を出していた。歌も、ヨーロッパ人からすれば、耳を引っかくような叫び声にしか聞こえなかった。それでも観客はしごくご満悦の体で、詰め込みすぎた胃から出てくるおくびの音を響かせながら、さかんに賞賛の声を上げていた。シナ人は拍手喝采することを知らない。』
→「猫の騒ぎのような音」とは京劇についてなかなか酷評してるね。。京劇を見たことがある人なら分かると思うけど、たしかに「猫の騒ぎ」に聞こえる気もする(笑)。ヨーロッパ人には京劇の良さは分からなかったのかな?

シュリーマンは日本でヨーロッパ的モノ文化が絶対ではなく、簡素・質素とはとても素晴らしいことだというのを知ったようだ。
『日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、…寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それら抜きでも十分やっていけるのだとわかった。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいゴザを用いることに慣れることが出来たら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。』
→今の日本にはモノが豊富にある。しかし、当時の日本人は、家具を一切持たず、ゴザ一枚で、その上で食事をし、団らんし、読み書きをし、寝ていた。それで十分だったのだ。「豊かさ」とは何だろうと考えさせられる。


シュリーマンは、中国について批判的に書いていることが多いのに比べて、日本に対して批判的、否定的な記述はほとんどなく、べた褒めされているような気分になり、この本を読んでいてなんか嬉しい気持ちになった。

が、中国がどうのこうのではなく、皮肉なことではあるけど、シュリーマンに褒められた当時の日本の文化は、外国から入ってきた文化に覆われている今の文化ではなく、自分たちで長年育んできたありのままの日本である。逆に言うと、現在の日本が文化的に廃れてしまったかのか?ということを感じてしまう。



http://www.yochomachi.com/2013/10/la-chine-et-le-japon-au-temps-present.html

ハインリッヒ・シュリーマンシュリーマン旅行記 清国・日本』(La Chine et le Japon au temps présent)
トロイの発掘で知られるシュリーマンだが、トロイ発掘を思い立つ前に日本にもやって来たことは案外知られていない。ロシア貿易(クリミヤ戦争での武器密輸など)で巨万の富を築いたシュリーマンは19世紀半ば一度行ってみたかった清国と日本を見物するためはるばる極東までやってくるのだ。時は1865年6月。鳥羽伏見の戦いに先立つこと3年の幕末動乱期。シュリーマンの日本滞在はわずか1ヶ月ほどだったが、鋭い偏見のない観察眼でシュリーマンは日本について多くのことを学ぶ。それをフランス語で書き表したのがシュリーマンの処女作となるこの本であるが、日本の「本質」を見抜くすぐれた分析となっている。その国のことを理解するのに必ずしも長くその国に住む必要はない。これは短期間のアメリカ滞在だけで不滅の名著『アメリカの民主政治』を書き表したトクヴィルの例を挙げるまでもない。ビジネスマンならではの具体的な観察にも富む。面白かったです。二三印象に残ったこと(順不同):

日本の清潔さにシュリーマンは大いに感動している。不潔で有名だった当時の清国に先に訪問していたから特に印象深かったのかも知れないが、日本人は労働者でも毎日入浴しきっちり整理整頓するとべた褒め。
日本家屋の簡素な美しさにも感動している。特に家具がほとんど無い簡素な生活ぶりについては『家の中に家具をゴテゴテ揃える我々西欧人は世間体を気にしすぎているのではないか』と自分たちの生活習慣を反省しているぐらい。
日本人の律儀さと規律。シュリーマンの江戸での行動には幕府から護衛(下級武士)が10人ほど付いてくるのであるが、彼らはお礼とか贈り物を一切受け取らない。横浜税関の役人も賄賂は断固として拒絶する。役所での仕事ぶりもきわめてきっちりしていると感心している。
物価。労働者の手間賃や工芸品や書籍はきわめて安いと驚いている。その一方で昼メシ代に15フラン(現在価値で1万5千円ぐらい)を請求され、ちょっと不満気味。幕府の案内役としては外国人を一杯メシ屋なぞに連れて行くわけにも行かず料亭みたいなところに連れて行ったのであろうが(ちゃんと本人にカネを払わせメシ屋に領収書を出させるなど、まことにきっちりしているが)日本の料亭で出される料理の実質価値と名目価格の比率(費用・効果比)は今も昔も同じなのであるなあと、今度はおいらが感心。また古美術屋の陶磁器の値段には驚倒している。
日本の自然と江戸の都市景観の美しさに感動している。何処でも樹木が一杯で公園の中に都市があるようだと、またどの民家にも小さな庭があり植栽が美しいと感動。まあ、当時の江戸の人口は250万人、全国人口は3000万人程度。これなら自然と共存できるわけだ。
売春婦(花魁、芸者)の社会的地位の高さに驚いている。これは文化の違いか。
当時の国内政治動向について、シュリーマンは「イナカの有力大名たちが、財力にものを言わせ、自分たちの既得権益を守るため、外国人嫌いの庶民を扇動し、保守的な朝廷勢力を担ぎ出し、開国文明開化に積極的な江戸幕府を追い詰めている」と分析。妥当な見方だろう。
面白いことにシュリーマンは貨幣交換比率について幕府に文句を言っていること。当時の日本では、金(小判)と銀(一分銀)の価値比率が国際基準と違っていた。一分銀が名目だけの価値しかない定位貨幣(補助貨幣)であったためだが、一分銀3枚=一ドルという平価をアメリカと約束したため大量の小判国外流出を招くことになる。幕府は急遽貿易用の小判と一分銀の改鋳を行いそれを防止したが今度は西欧諸国が条約違反だと文句を言い出し結局元に戻した(と歴史の教科書には書いてある)。外国人にとってめでたしめでたしの筈だったが、シュリーマンによるとこの特権は在日外国大使館・領事館の公務員にのみ適用され一般外国人には適用されなかったようだ(それで儲け損なったシュリーマンは文句を言っている)。ハリスやオールコックなぞはこれで個人的に大儲けしたはず。これは自分たちだけ特権を貰って後は『お目こぼし』という意味で一種の収賄に当たるのではないかと思う。古今東西、役人というものは(江戸幕府の真面目な下級役人をのぞき)どうしようもないな。

シュリーマンは商店の見習いから身を起こし、国際貿易で巨額の財を築いたビジネスマン。学校にも行ってないので独学で勉強した。巨万の富を稼ぐやいなやビジネスからは引退し自分の好きなことをはじめる。諸国漫遊の旅を続けるうちにトロイの発掘を思い立ったようだ(トロイ発掘は小さい頃からの夢でそのために仕事を辞めたというのはウソ)。当時の冒険商人特有の押しの強さもあり、遺跡発掘でも列強の圧力を利用してかなり強引なことをやった。そのため現代のインテリには今ひとつ評判がよくない人ではあるが、彼なんかにこそブローデル流の資本主義の精神を見ることが出来るとは、言い過ぎか。



http://sinta8082.iza.ne.jp/blog/entry/2944107/


シュリーマン旅行記 清国・日本
2012/12/03 21:52

直球的な表現ですが、

日本は素晴らしい国です。

それを知っていただくために下記の本をお薦めします。 その理由は、この本が単なる情報ではなく、私自身の海外での実体験と比較して同意できるところがたくさんあるからです。ページ数のそれほど多くないので一気に読めます。



シュリーマンはあの「トロイの遺跡」を発掘したことで有名な人間だが、実は清国や日本に来ていたとは、この本で知った。しかも、当時の日本は「尊皇攘夷」が渦巻く幕末であり、外人には危険な環境である。それでも旅行を貫徹しようとする彼の「好奇心」と「使命感(みたいなものを感じる)」に敬服する。

当時のヨーロッパにとって日本はなんの脅威のない東洋の島国。 別に日本にゴマをすって褒める必要はない。 格別の敵意があるわけでもないから、敢えて罵る必要ものない。彼がどんな印象を表明しようが、それに賛否を唱える圧力団体もない。つまり…

バイアスのかかっていない中立な日本評価を知ることができる

また、当時の彼には日本に関する事前知識は非常に乏しい。つまり、

事前の「洗脳」とか「偏見」とか「政治的プロパガンダ」が極めて少ない、彼自身の(欧州の人の)日本への感じ方を知ることができる。

それは「貴重な日本の外交の歴史的資料」だと思う。 初めてまるっきり異文化に遭遇する人は、荒削りであっても本質的な一番の大きな違いを感じ取ることができる。 だから、欧米と日本のマクロの違いは何なのかをシンプルに検討するためにとても貴重な資料と思う。そして、「日本の強みな何なのか?」を一考する資料になるのではないか?

もう一つ! 興味深いと感じた。 これは150年前の旅行記なのにアジア各国の特徴が現代と大差ないということ

<例>
シュリーマンは最初清国を訪れる
· 清国はとにかく不潔
· 清国の支配階級は国家の富(当時は高価な石炭)を売って労働者階級は奴隷のようだった。結局国としては富が残らない。(今の中国共産党みたい)

清国の後、シュリーマンは日本(幕末の日本)を訪れる
· シュリーマンによれば、日本に行った西洋人はみんな感激するらしい。(これは日本人の自画自賛ではありません。当時の西欧人が言っていたことです。)
· 彼自身も日本の事を友人たちから聞いていて、行きたくてしかたがなかった。
· 清国旅行でその「ゴテゴテ感、不潔さ、手入れのしない頽廃(たいはい)感」に辟易した後なので、日本の寺院の「秩序」、「良く手入れされた清潔さ」そして「あまり色のない簡素」に非常に心を打たれたらしい。
· 当時の日本の武士はわずかな「心づけ」を貰うことも拒んだ。これも驚きだったらしい。(やっぱり、道徳とか礼節が大事なのですね)
· 当時の幕府役人にいろいろ便宜を頼んでも、「書いてないことはしない」とまるっきり融通が効かないことには閉口したらしい。 まるで今の霞が関に通じるようで、日本の短所も律儀に継続しているようで、「クスリッ」と笑ってしまった。
· シュリーマンに言わせれば、当時の日本は「蒸気機関」がないことを除けば、「国民の教育の高さ」と工芸品とかで西洋に劣らない文明をもっていた。しかし、唯一圧倒的に、文明という視点でおくれているのは「民衆の精神的な憧憬を最小限に抑えている」社会ということらしい。つまり、封建制をベースにした抑圧された階級社会という悪が存在するらしい。

しかし・・・・、ここからは本文と関係のない自論なのだが、

民主主義に向かうことが果たして日本文明の進化として正しい方向なのだろうか?

シュリーマンは数々の「日本の美徳」に触れ、それを高く評価している。 それはありがたいとことだ思う。 しかし、もし、西洋的民主主義(一歩間違えば、利己的個人主義の大量発生)が支配する世の中だったらこれらの「日本人の美徳」は生まれただろうか? 今の日本は自称民主主義が跋扈(ばっこ)しているが本当に醜い。

民主主義は西洋発祥の国家統治思想であり、日本がそれを取り入れるのなら、ある程度日本風に調理し直したほうがいいと思う。 例えば、「緩い士農工商」を温存するとか。そしてここで述べたような日本の美徳が生きる方法を統治システムに刷り込むべきと思う。


http://www.nak.co.jp/wp/?p=7520


[シュリーマン旅行記 清国・日本] 2
8月 7, 2013 under 日本論
シュリーマンは日本に来ることをとてもとても楽しみにしています。
当時のヨーロッパ人にはある種憧れの国だったようです。
オランダ商船やシーボルトの影響だったのでしょうか。
上海から九州の南の諸島を迂回して九州の東沿岸を北上し、
江戸に向かう航海は日本への憧れが募るばかです。
富士山を見ながら横浜に投錨します。
中国では船が投錨すると、周りを無数の汚いジャンクが取り囲みますが、
横浜ではただ一艘の小舟が寄ってきました。
下帯一本刺青もんもんの船頭二人です。
波止場まで運んでもらって賃料を聞くと、「四天保銭」。
これにも驚きます。
中国では四倍は吹っかけられたからです。
そこから税関に行きますが、人夫はどれもこれも皮膚病を患っており不気味です。
税関では役人が「荷物を全部開けろ」といいいます。
大変なので袖の下を渡そうとすると、役人は「日本男児!」と胸をたたいて拒みます。
そして、荷物の検査はほどほどにして通してくれます。
横浜で宿泊します。
これから貪欲に横浜や江戸を見て回り、感想をかいていますが、感想はとても好意的です。
中国があまりに酷かったからかもしれません。
横浜の町を見学にでかけた。
1859年には小さな漁村だった横浜も、いまや人口1万4千人を数える。
道路はすべて砕石で舗装されていて、幅10〜20メートル、
青みがかった煉瓦の木造二階建ての家が道にそって並んでいる。
道端の家々をきょろきょろ見て回ったのでしょう。
どの家も花で飾り、こぎれいな印象を持ちます。
「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」といっています。
にもかかわらずどの国よりも皮膚病がおおい。
その原因は米食と生魚が原因だと主張しています。
他の来日した蘭学者は確か、風呂水がきたなくて、ここで感染しているといっていました。
こちらの方が信憑性があります。
家の中に家具がないことが不思議だったようです。
そのことを何度も書いています。
家具がないのも、「嫁入りに費用が掛からなくていい」と好意的です。
質素な生活様式もそれを一つの文化として、
「それもあり」とうけとめます。
公衆浴場には一種感動です。
男女混浴で老若男女、なんの恥じらいもなく、仲良く入浴している。
「なんと清らかな素朴さだろう!」と、とても面喰ったのでしょう。
シュリーマンは吉原には行っていないと思いますが、
遊郭について興味をもって書いています。
日本人の性に関する、開放的な考えに不思議な、でも肯定的な感想をかきます。
(余りに肯定しすぎるのではないかと私は思います)
八王子に生糸の生産現場を見に行きます。
彼らにとってどれほど珍しかったか分かりません。
江戸になかなか入ることができません。
前回にも書きましたが、攘夷論者が外国人の命を狙っていたので、
その安全のために許可がでなかったようです。
アメリカ合衆国公使館から招待状をもらって、やっと江戸に行くことができました。
5人の役人の護衛に守られた、梅雨の雨の中、馬で江戸に向かいます。
9時前に出発して、江戸には1時ころ入ります。
途中ずっと日本の家々や人々を観察しています。
アメリカ公使館は善福寺というお寺をかりていて、
ここでも常時200~300人の役人が警護しています。
愛宕山に上って、江戸の町を観察します。
後日江戸の町を護衛付で見学し、様々な感想を述べています。
商店がたくさんあるとか、日本人は絵が好きだとか。
芝居見物もします。
これらの行動は常に日本人役人の護衛付です。
外出先から、公使館に帰るときは毎日違った合言葉を確認します。
間違うと一刀両断されます。
ともかく貪欲に日本を観察し、コメントしています。
西欧とは全く異なる文明・価値観、特に性に対する考え方の相違には、
驚きながらも、「それは一つの文化だ」と肯定的に書いています。



http://plaza.rakuten.co.jp/nijinoki313/diary/201211140000/


シュリーマン旅行記 清国・日本』 ハインリッヒ・シュリーマン著を読む (8)
テーマ:最近、読んだ本を教えて!(90896)
カテゴリ:本・読書
文庫本は安いというのは勝手な思い込みで、特に講談社学術文庫は高い。


その講談社学術文庫シュリーマン旅行記 清国・日本』 石井和子訳というのを見つけた。


シュリーマンと言えば、ギリシャ神話に出てくるトロイアを発掘した人で有名だ。
伝説の都市トロイアが実在したことを証明したあのシュリーマンが、日本へ来ていたとは知らなかった。


トロイア遺跡を発掘したのが1871年。
日本に来たのはなんと、それより6年も前の幕末1865年であった。


1865年といえば慶応元年、尊王攘夷の嵐が吹き荒れていた江戸時代、150年前である。


前年の1864年は新撰組による「池田屋事件」があり、「蛤御門の変」とか「長州征討」があった年だし、1865年は高杉晋作らの奇兵隊が挙兵したので、第2次長州征討の勅許が出された年である。


そんな討幕運動の激しい混乱の時期に、シュリーマンは世界旅行の途中に支那と日本に立ち寄っていた。支那では万里の長城、北京、上海を訪れている。


万里の長城へ行く途中の様子を抜粋すると・・・・・


私はこれまで世界のあちこちで不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の町は汚れている。しかも天津はその筆頭にあげられるだろう。町並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている。


私は城壁の内側でものすごく素晴らしいものに遭遇できると思っていた。しかし、それはひどい間違いだった。北京には、荷馬車ひきが泊まる、ぞっとするくらい不潔な旅籠を除けば、ホテルというものはない。


北京の街にはボロ布しか身にまとっていない女乞食があふれている。
無秩序と廃頽、汚れしかない。堕落した民族が崩壊するにまかせている。


清国の君主たち、また民の愚かさ加減、意気阻喪ぶり。

  

公道にゴミを捨てたり痰を吐いたり、マナーの悪さは150年たった今も変わりませんね。お気の毒に。同じアジア人といっても、肌の色が同じなだけで、日本人とはまったく別人種だ。



いよいよ6月1日、日本にやって来たシュリーマン
雪で覆われたフジヤマに感激しながら、横浜の港から上陸し、江戸の他に八王子まで足を延ばしている。



日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地はない。
どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。


家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。

  
犬は、ペテルスブルクやコンスタンティノープル、カイロ、カルカッタ、デリー、北京ではたいへん粗暴で、われわれの乗っている馬やラクダに吠えたて、追いかけ廻してきたものだが、日本の犬はとてもおとなしくて、吠えもせず道の真ん中に寝そべっている。われわれが近づいても相変わらずそのままで、犬を踏み殺さないよういつもよけて通らねばならない。


国産の絹織物を商う店が多いのに驚かされた。どの店も大きさといい、品数の豊かさといい、パリのもっとも大きな店にもひけをとらない。


日本に来て私は、ヨーロッパの寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。


彼ら(日本の役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも、現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである。


もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わず達することのできる最高の完成度に達しているからである。


教育はヨーロッパの文明国家以上に行きわたっている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では男も女もみな仮名と漢字の読み書きができる。

  
日本の犬の性格も他国の犬たちと違ってるんですね。日本人と同じでおとなしい。
犬の性格も、その国の人々の性格に似てるものなんだなぁ。


浅草はもちろん吉原なども見学している。


すごいタイミングで14代将軍家茂の上洛行列までも見ていた。それを実に詳しく観察して書いている。


行列が通過するさい、外国人は立ち会わないよう要請し、日本人については東海道に面した店はすべて戸口を閉めて行列が通り過ぎるまで外に出ないよう厳命してるのに、イギリス領事は幕府にかけあって、横浜から4マイルのあたり、東海道の木立に陣取って外国人が行列を見学できるよう許可を取ったそうだ。


日本人は見ることができないというのに、欧米人は強引に許可を出させたのでしょうね。


蹄鉄なしで藁のサンダルを履かせた美しい栗毛の馬に乗り・・・・・

広重の東海道五十三次の絵にワラジを履いた馬があるが、本当にそれと同じものをシュリーマンは見ていた。


将軍家茂の上洛は、萩藩つまり長州征討のためだと思われる。



1カ月の滞在ののち、7月4日サンフランシスコに向かう。
そして船中約50日の間に書きあげ、アメリカからメキシコを経由してパリに着き、1869年に出版している。


その後、1871年にトロイア遺跡発見。


このシュリーマンの処女作が日本語に翻訳され出版されたのは1991年(平成3年)。


訳者である石井和子さんの息子さんが、旅の途中、パリ国立図書館で原本を見つけ「日本」の部だけをコピーして持ち帰り、訳してほしいと手渡されたのがことの始まりだったという。


はじめは身近な人に向けて出版したもので、多くの人々は読むことができなかった。
それを読んで驚ろいた東大名誉教授が、ぜひとも公にしたいと思い、講談社学術文庫から1998年に出版されることになったのだとか。


もし息子さんが見つけなければ・・・・・。
とても貴重なものを発見しましたね。


中国を旅したことによって、シュリーマンの目には日本が特に美しく感じられたことでしょう。

幕末激動の時期の証人の一人ということだ。




http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Jiyugaoka/990215Schliemann.htm


H・シュリーマン

シュリーマン旅行記 清国・日本』

講談社学術文庫 1998.4

著者はトロヤ遺跡を発掘したことで有名なあのシュリーマン。この人はもともと商人で巨万の富を築いた人であったが、1863年、41歳のとき、それまでの仕事を打ち切って自分の夢であるトロヤ遺跡の発掘をめざすようになる。本書はそのころ世界を漫遊したシュリーマンの体験した中国と日本での旅行体験記だ。



ハインリッヒ・シュリーマン

1822年、牧師の息子として生まれる。ビジネスで成功を収めたのち、当時の考古学会の常識をくつがえし、トロイア発掘など、幾多の発見をおこなう。かれの自伝「古代への情熱」を読み、考古学者になりたいと思った人も少なくないのでは?

この旅行記の読みどころは、著者の持つどん欲なくらいの好奇心からわきでる細かい観察眼である。たとえば北京の町並みを描写するところは──

どの家も二階建てで、燻し煉瓦でできているので道路側に窓がある。商店の正面はあらゆる種類の怪物──とりわけ龍が多い──伝説の場面を表した巧みな彫刻で飾られている。だいたいは赤と金泥で塗られているが、ときには金色だけのものも見かける。店屋の看板は長さ二〜三メートル五十センチ、幅は五十〜六十七センチある。看板は入口の両側に垂直に、そして遠くからでもよく見えるように壁に直角に下がっている。

このような細かい観察があらゆる方面(遺跡、風俗、人間等)に向けられているので、当時の中国と日本がよく偲ばれとても興味深く読める。

しかしさらに興味深いのは、解説で木村尚三郎氏も指摘しているとおり、中国に対して批判的に描写しているのと対照的に、日本に対しては、ほとんど絶賛といえるぐらいの高い評価をしているところだ。

北京の町の不潔さ、人々の堕落しきった姿を観察した後、遺跡には目がなかったシュリーマンは、万里の長城にのぼり感想を述べている。

長城がかつて人間の手が築きあげたもっとも偉大な創造物だということは異論の余地がない。が、いまやこの大建築物は、過去の栄華の墓石といったほうがいいかもしれない。長城は、それが駆け抜けていく深い谷の底から、また、それが横切っていく雲の只中から、シナ帝国を現在の堕落と衰微にまで貶めた政治腐敗と志気喪失に対して、沈黙のうちに抗議をしているのだ。

その一方日本に対しては、人々の勤勉で誠実で清貧なところ、町の清潔さ、工芸品の巧みさ等におどろき、「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」と高く評価しているのである。

しかしながら、日本はやっぱりすばらしかったのだと考えるまえに、「シナ帝国の現在の堕落と衰微」の大きな要因である列強の中国進出に対して著者は一言も触れていないことを心に留めておくべきであろう。 シュリーマンがこの二つの国を訪れたのは1865年。この年は日本が明治になる3年前にあたるが、一方中国ではアロー戦争によって英仏に北京を占領され、混乱に陥った5年後にあたるのだ。

日本には権力者(独裁者)が必要だ!!

ここで言う権力者(独裁者)とはこの人の言うことに注意を払う、
または逆らわないという意味です。

日本人というのは基本的に権力者(独裁者)というのを認めようとしない、
どれだけ独裁体制の政治基盤を築いても他の国みたいに絶対君主というような感じにはならない、
よくいって裁判長ぐらいの力があるかんじだ

日本というのはここでいう権力者がいるときは日本という国がうまく進んでいき、
権力者がいなくなると、利権集合体が暴走して国益を失うのではないかということだ

利権集合体とは時代が経つにつれ利権を獲得したもの同士が結合して、
自分たちのやりたいことを勝手にはじめる集合体
(マスコミ利権・官僚利権・軍派閥など)基本的に国の為ではなく利権を守るための組織またはその長の連合体、放っておくと硬直化と暴走を繰り返す厄介な存在

昭和の暴走戦争も昭和一桁時代に権力者を失ってしまったということにあるのではないか?
昭和末期から平成の日本の迷走もやはり権力者というべき人を失ってしまったからではないか?
日本の権力者は時代が進むにつれ小粒になったけれど

戦前の最後の権力者は高橋是清ですね、あんな大胆な金融政策をとれるなんて、
権力者でないとできないことだから(殺されたけれど)

小泉元総理は権力者になれる要素はあったけれど、あの性格だしねWW
小沢一郎は自ら権力者を捨てたかんじがするしね

アベノミクスが成功すれば安部総理は権力者になれる可能性があるけれど、
成功する可能性は35%ぐらいだと思う、
成功しても権力者として振る舞うかどうかもわからないけれど、
日本に方向性を与える人物になってくれたらうれしい

探偵ナイトスクープ 独学ボクシング

面白かった

4Rをもったのが凄い
手を出さなくても真剣モードだと3分もたないものなのに
4Rももつなんて、
ボクシングはディフェンスが全然できてなかったけれど、
体力がすごいな

社会主義と共産主義って何が違うの? : 大艦巨砲主義!を読んで思ったこと

主義主張が問題なのではなく、
お金が停滞するシステムが問題なのです。

すべてのものが自給率100%の国があったとすれば、
問題はお金の停滞以外に問題は発生しないのです。

お金の停滞を防ぐものは税制以外にはなく、
停滞しないような税制にすればすべての問題は解決します。

貧富の格差等は税収の範囲内で行えばそれで良いだけです。
またそれ以上のことができるわけでもないです

フランスでの慰安婦漫画の問題とユダヤ人問題

慰安婦漫画」 韓国宣伝に染まる欧州 展示を鵜呑みにする人も
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140201/kor14020100310000-n1.htm

両者に共通している問題点は言論ジェノサイドというべき処置が採られているということなんです。

基本的にはふれさせないような圧力があるということです。
フランスやドイツではまともな議論自体が法律で禁止されています。
慰安婦問題は日本以外では議論されてないといってよいでしょう。
その証拠に日本ではどういう議論がなされているのかということさえ話題に上らないということです。(日本での経過を知らないということです)
クジラ問題にしてもそうですが日本の考えというのはまったく世界世論に対して無効状態になってますね、外務省の怠慢もあるのでしょうが根が深い問題だと言えますね。

宮台氏見解